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世界を変えた奇跡の祈り

 世界を変えた奇跡の祈り

ジェームス・トワイマン 著/廣常仁慧 訳

定価¥1,900(+税) 233ページ

心に奇跡をもたらす祈りの力・スピリチュアルガイドブック

かつて十字軍の時代、聖フランシスが祈りのパワーによりムスリムと十字軍に和解をもたらした。ベストセラー作家・平和の吟遊詩人としても有名なジェームス・トワイマンが時のベールを引き払い聖フランシスと愛弟子レオとの中東への容易ならざる旅の会話を通し一人ひとりが「平和の心」を体現することにより、この世界に変化をもたらすことのできるパワーを秘めていることを示している。またそれを可能にする15の祈りの法則が明かされている。

私たち一人ひとりは、神が喜びをもって無条件で授けた贈りものをもっているのです。もしこの贈りものを正しく使わないならば、それは古びて枯れたように干乾びてしまう。しかしどんなに時が経ち、どんなに私たちが自分の内なる神の種子を無視しようが、そのパワーを解き放ち、命を蘇らせる力を持つ魔法のような秘密はなくなりません。その秘密を見つけそこに心血を注ぐならば、私たちの霊的成長が始まり、想像を絶する神なる豊饒を手にするのです(本文より)

 もくじ

  • まえがき/グレッグ・ブレイドン
  • 歴史的背景
  • 第一章 旅の始まり
  • 第二章 祈りの技術
  • 第三章 神よ、私をあなたの平和を奏でる楽器としてください
  • 第四章 憎しみのあるところに、愛を
  • 第五章 いさかいのあるところに、赦しを
  • 第六章 疑いのあるところに、信頼を
  • 第七章 絶望のあるところに、希望を
  • 第八章 暗闇のあるところに、光を
  • 第九章 悲しみのあるところに、喜びをもたらす使いとしてください
  • 第十章 おゝ主よ、慰められるよりも、慰めることが
  • 第十一章 理解されるよりも、理解することが
  • 第十二章 愛されるより、愛することができますように
  • 第十三章 なぜなら与えるときに、与えられ
  • 第十四章 赦すときに、赦され
  • 第十五章 己を滅するとき、永遠の生命によみがえるから
  • 訳者あとがき

私たちは時として、人生において他のもろもろの本とはあきらかに一線を画する本に出逢う。しかしその違いを言葉だけで言いあらわすのは困難だ。簡単な要約とか推薦文で、そのような本がもつパワーを伝えることはできない。それは、ただ読者が読み、直接それに触れることによってのみ感じることができるものだからだ。「世界を変えた奇跡の祈り」( The Prayer of St. Francis ) はそうした本の一つである。十五章にわたる本文のなかで、著者でありまた平和の吟遊詩人であるジェームス・トワイマンは、アッシジの聖人・フランシスの、人生における短いが重要な時期についての彼の洞察を我々に提示している。この時期のフランシスを知ることで、我々は、かつてフランシスが抱いた希望が実現できるかもしれないという可能性に目覚め、また、それをあまりに確かに感じるので、本を読み終えたあとも、そのメッセージは何時までも忘れ得ないものとなるのだ。「世界を変えた奇跡の祈り」は、この世界についての我々の考えを大きく越えたところまで導き、日々の生活のさまざまな試練のなかで、どのように平和を体現すればよいかを我々に教えている。その平和を体現することで、我々は、古の教えの生きた見本となり、我々のもつ平和のパワーがこの世界に変化をもたらすことができるかもしれないと感じられるのだ。

ほとんど例外なく古の書物や伝承は、我々の人生において起きることは内側のフィーリングの世界で起きることの反映であることを示している。この観点から見れば、我々の肉体の治癒、人間関係における成功、家庭あるいは地域社会ひいては国家の平和といったものが、お互いに関係しあっていることがわかる。我々はそうした関係をようやく理解しはじめたに過ぎない。修道会や修道士たちは、奥義の伝承という形で、この大いなる秘密をその時代時代の言葉を使って世代から世代へと伝えてきた。我々の体内部のフィーリングを変容させることで、この世界に平和をもたらすという人間に内在する能力に関する知識は、そのようにして継承されてきたのだ。最近の量子力学の分野における発見はまさしくそうした関係性が存在することを支持するものとなっている。我々の心が感じとるフィーリングの状態や変化を広大な宇宙の中に精妙だが力強く映し出す、今までは知られていなかったエネルギー形態があることを量子力学は突きとめているのだ。今日、現代科学の提供する豊富な語彙によって語られるそうしたものは、過去の或る時代、あの聖フランシスと呼ばれた男、フランシス・ベルナドーネの生きた時代において既に認識されると同時に実践されていたことを暗に示している。

聖人や霊的マスターたちの系譜のなかで、人びとからもっとも広く受けいれられ、中世を通して明らかに一番よく知られた聖者として、聖フランシスはひとり際立った存在となっている。動物に教えを説き、襤褸の服を身にまとい、忠実な信奉者たちと一緒に暮らす風変わりな人として描写されることの多い聖フランシスだが、人びとは、彼の名を聞くだけで清貧な生活を送りながら平和のメッセージを伝えた人というイメージを彷彿させる。土地や物質的なものを一切所有しないフランシスにとって、領土や所有地の境界線を設定することは無意味であり、守るべきもの防衛すべきものはなく、また自分から奪われる物も何ひとつなかった。そうした自由の境地にはばたいていたからこそ、聖フランシスは、それを教えの拠りどころとし、変わることのない平和と豊かさの手本として生きたのだ。そして彼のその素朴なメッセージによって、農民や貴族や王族そして法皇その人までも、彼を前にしてその人生が変えられてしまうという奇跡が起きたのだ。

一二一〇年の夏、聖フランシスはヨーロッパの冠たるカトリック教会の支配者イノセント・Ⅲ世の謁見を求めて聖地ローマへの旅に出た。彼は自分の教えがローマ教会によって承認され支持されることを求めようとしていたのだ。フランシスの嘆願は、彼の訪問中に法皇が見た不思議な夢の後、受けいれられた。そして新しい教団を設立する許可をたずさえてアッシジに帰還した。かくしてローマカトリック教会フランシスコ教団を設立したフランシスは、一人の人間が平和を体現することができ得るという可能性を伝えることによって大衆を勇気づけることとなった。商人の息子でありながら父親からの財産相続の権利を放棄したこのフランシスの背後にある哲学を、いま我々はブラザー・レオ、アンジェロ、そしてトーマスのような最愛の弟子たちの努力によって知ることができる。しかし我々は彼がなし遂げた多くのことを知ってはいても、死後二年にも満たぬ間に聖人に列せられたその人について何を知っているだろう。間近にいた人たちと、どんな奥深い思いを分かち合ったのか? 当時の他の霊的指導者よりも何が彼を特別な存在にしたのだろうか? そうしたことについて、実際にはほとんど何も知りはしない。

ジェームス・トワイマンは「世界を変えた奇跡の祈り」を通して、正にそうした質問への回答を示している。彼の文章は、多くの示唆に富みながらも読みやすいのが特徴だ。本書でジェームス・トワイマンは、その表現手法をいかんなく発揮して、アッシジのフランシスの一生のある時期に一筋の光を当てている。それは、十字軍の時代、彼が見いだした平和のもつパワーをムスリムの指導者たちへ伝えるため、敵地へと国境を越えて旅をした決定的な時期についての珍しい著作となっている。トワイマンは、歴史を溯り、時のベールを引き払い、フランシスと最愛のブラザー・レオが過酷な中東の地への容易ならざる旅をしながら、そこで交わされる二人の美しい友情について或るいは怖れや疑いについての、確かな洞察を我々に提供している。そしてその道すがら、レオが投げかけるその日その日の質問にフランシスが答えていくというかたちで、我々はフランシスの教えを聞くことになるのだ。レオの質問は今日、我々が日々自問してやまない質問にそのまま重なり合う。「祈りとは何を意味するのですか?」「祈りに一番適した時はあるのですか?」といった質問である。質問に対するフランシスの答えは、今日でもそのまま通用する新鮮さがあり、八百年前のものであることを感じさせない。その答えの積み重ねが、今日、聖フランシスの祈りとして知られる「私をあなたの平和を奏でる楽器としてください」というパワフルな祈りへと進化していく。人間的な欲求やジレンマをもつ現実的な人間としてその聖人を描くことで、聖フランシスはトワイマンの本の紙面から抜け出し、ただ憧れるだけの聖人ではなく、我々も同じだと共感できる生きた人間として、読者の心の中によみがえるのだ。

「世界を変えた奇跡の祈り」の中で、ジェームス・トワイマンは、怖れと、疑いと、不確かさに満ちた世界を海図なしに旅することになぞらえることのできる、人生という永遠のテーマを活写した。アッシジのフランシスを描写したトワイマンのこの物語を通して、我々は、一つの素朴なメッセージをたずさえた一人の普通の人間が、どのようなパワーを使って、彼の仲間から教会から彼の敵からさえ尊敬を集め、中世におけるもっとも愛される聖人となったのかを知ることができる。我々現代人のことなど夢のなかでしか知り得なかったであろうフランシスの力強い言葉によって、我々は、一人ひとりの内側に、平和を奏でる楽器となるための英知がひそんでいることを思い出すことができるのだ。

グレッグ・ブレイドン

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